「お風呂からカーブミラーへ」日本の交通安全を支える福井の会社、ナック・ケイ・エスの原点

福井市串野町に本社を置くナック・ケイ・エス。カーブミラーの国内シェア№1で約40%を誇り、日本全国の交差点や路地を文字通り「交通安全を見守っている」会社です。しかし、その始まりはカーブミラーとはまったく無縁の、FRP製のお風呂でした。創業者の娘として会社を継いだ代表取締役副社長・海道洋子さんに、創業の物語から現在、そして未来への想いを伺ってきました。

恐竜ミラーがお出迎え

─ 創業のきっかけ

中島:御社のことを調べさせていただいて、カーブミラーのシェアのすごさに本当に驚きました。なぜそこまでシェアを取れているのか、純粋な疑問として、まずそこからお伺いできますか。

海道:わかりました。それにはまず、創業者の父海道 長(かいどう はじめ)の生い立ちからお話ししたいと思います。父は戦前生まれの五人兄弟の長男でした。元々百姓をしていましたが、15歳で父親を亡くしてからは、母と四人の兄弟を養わなければという思いで、酒蔵の杜氏や水道屋、電気屋の代理店、とにかく何でもやった人でした。

中島:15歳で長男として。大変な苦労をされたんですね。

海道:そういうこともあって、とにかく稼がなければいけないと考えていたんです。あるとき、自宅のお風呂が壊れてしまい、修理依頼をしたときに、ポリバスっていうFRP※製のお風呂が設置されているのを見て、ふと「これの仕入れ値はいくらなのか?」聞いたそうなんです。そうしたら、めちゃくちゃ儲かる計算になっていることを知り、「これを作ろう、これは商売になる」と思ったそうなんですね。そこで1970年、福井市小幡町でFRPのポリバス屋として創業しました。

※FRP(Fiber Reinforced Plastics) :繊維強化プラスチック。

中島:一番最初はお風呂だったんですね。

海道:そうなんですよ。FRPって面白くて、大きくすればタンクになるし、四角く開放すれば水槽にもなる。父は素人でしたけど、いろんなメーカーさんとのご縁もあってFRPを使った製品づくりを始めたんですよ。また、その時代は高度成長期で自動車の普及とともに道路整備に力を入れていた時期でもあったので、その影響でカーブミラーもバッと普及し始めた時期でもあったと聞いています。当時、FRP製だったカーブミラーの裏板を製造していた会社さんが裏板を持ってわざわざお越しいただき、「こちらで作ってくれないか」って声をかけていただいたんです。

中島:それがカーブミラーとの出会いだったんですね。

海道:本当に“ご縁”なんですよ。やらせていただく、って話ですよね。当時は木型にガラス繊維を敷き、液体の樹脂をローラーを使って手作業で含侵させて固めていくという、本当にシンプルな作り方でしたけど、それが当たりまして。翌年には法人を設立して、熊本にも工場を持って。一気に全国展開へと舵を切りましたね。

─ 鏡面も、工場ごと持ってきた

副社長 海道洋子氏(カーブミラー展示室にて)

中島:そこからカーブミラー一本に絞っていったんですか?

海道:父はご縁があって裏板製造をさせていただいていましたが、裏板だけじゃ儲からないって気づくんです。次に考えたのが「鏡面部分もやりたい」と。そうしたら、また運がいいことに、東京の大手メーカーがちょうどアクリル鏡面の製造から撤退するって話が舞い込んできました。これはチャンスだと「じゃあ設備ごとください」と手を挙げたそうです。1975年10tトラック十数台分の工場にあった機械設備一式を全て、福井に持ってきたんです。

中島:工場まるごとですか!

海道:はい。本当にやることが豪快ですよね。よっぽど腹をくくったんだろうなって思いましたけど。簡易な建物の工場からスタートして、当時手つかずの山だった工場周辺を文字通り切り開いて、少しずつ建物・設備を増やしていったそうです。裏板も鏡面も自社でできるようになって、支柱も仕入れ始めて、ここでやっとカーブミラーを一式でお届けできる体制が整ったんです。実は、カーブミラーに携わっているのはそれだけではないんです。次に父が仕掛けたのが、業界団体の設立でした。

中島:協会を一から作られたんですか。

海道:そうです。1973年に父が発起人の1社となり、当時のカーブミラーメーカー8社で道路反射鏡協会※を立ち上げて、品質テストを3年かけて行い、道路反射鏡の品質や設置基準化など日本国内の道路反射鏡規格を統一しました。その後、協会が認定した道路反射鏡であることを証明する部材品質表示票をカーブミラーの裏板に貼り付けて全国に普及させました。現在もその表示票がないと都道府県や市町村で設置できない仕組みとなっています。

※道路反射鏡協会:https://www.dhk.gr.jp/

中島:それって海外から安いものが入ってこない防波堤にもなりますよね。

海道:そうなんです。日本国内の品質基準はどの国よりも高く設定されています。それはなぜかというと、品質が悪ければ道路交通の安全に関わる。人の命に関わることですからね。それを業界全体で守ってきたということです。

─ カーブミラー以外の、ニッチトップ事業

中島:御社ってカーブミラーだけじゃないですよね。色々展開されていて、驚きました。

プールや浴槽も手がけられている

海道:父は計8つの事業部門を立ち上げたんです。主力商品カーブミラー、FRP製品のタンク・水槽、縦横広げてスイミングプールや幼児用プール。それからアクリルパイプやエンジニアリングプラスチック素材、MCナイロンなど。カーブミラーを作る真空成形の技術を応用すると、半球になるよね、大きくすると天井採光用トップライトになるよね、深くすればFRA浴槽になるよね、って。ミラー鏡面をつくる真空成形技術とFRPの技術を掛け合わせて、それ以外も様々な技術でプラスチック製品製造へと広げていったんです。

中島:全部つながってるんですね。

海道:FRP製のスイミングプールは大手メーカーのヤマハ発動機さんがパイオニアだったんですが、少子化の影響で学校へのプール設置などが減ってしまい、プール事業から撤退されました。弊社では福井・北陸近隣と九州・熊本を中心に、身の丈に合った規模でやらせていただいてます。福井県内の小中学校プールや清水町の流水プール、その他民間のスイミングスクールのプールにも弊社が携わりました。

中島:あれも全部ですか!

海道:そうなんです。さらに、コンビニや病院にある室内防犯ミラー——実は、あのアクリルの鏡面の国内供給の大部分が弊社で製造した鏡面なんです。その他にも、京都・嵐電の嵐山駅にある「キモノフォレスト」と呼ばれる観光スポットでは、京都の伝統的な京友禅の生地をアクリルパイプに巻いたポールが約600本並んでいるんですが、あのアクリルパイプも私どもが携わっています。

中島:えっ、あの嵐山の有名なスポットも!

海道:はい。また、アクリルパイプは直径2メートルの大口径のものを水族館の水槽として納品したこともあります。FRP製タンクは水タンクだけでなく薬品や温泉タンクなどの耐食タンク。熊本の福岡工場ではワインディング製法で大型タンクも手がけています。父がよく言っていた言葉なんですが、ニッチな分野で№1になること「小さな大メーカー」を目指せと。それが今でいうニッチトップ戦略そのものだったんだなと、父はそういう先見の名があったんだと思います。

※ワインディング製法(樹脂を含浸させた強化繊維を、回転するマンドレル(芯金)に連続的に巻き付けて成形するFRP(繊維強化プラスチック)加工技術

─ 一本の哲学で繋がるナツメの挑戦

中島:表に恐竜のカーブミラーがあったり、ナツメのお話もされていましたが……会社の幅の広さに驚いています。

海道:父はふるさと愛もありまして、1998年に「生まれ育った福井市棗地区(旧坂井郡棗村)の耕作放棄地を活かしたい、高齢者の働く場も作りたい」と言い出して。突然、棗村にちなんで在来種のナツメの苗木を私有地に300本植え始めたんです。

中島:なぜナツメを?

海道:父が韓国へ出張した際に、漢方市場で売られていたナツメの濃縮エキスを見て、「これは日本でもできる、ナツメで町おこしだ」って。国内の在来種ではナツメの実は粒が小さく、韓国の品種「大棗(たいそう)」の苗木を釜山から敦賀港経由で輸入しました。当時は敦賀港に植物検疫所あって、植物の輸入は大変で、根を水洗いして土ひとつない状態で持ち込まないといけない。それで千本の苗をコンテナで輸送して植樹、続けて輸入して合計4000本植樹して農園を作りました。それから、ようやく実をつけ始めたころには先に濃縮エキス加工用の大型のプラントを作って「今に数t単位で採れるようになる」と言い続けていました。その頃収獲できたナツメの実はカゴ一つ分しか採れなかったんですけどね。

中島:パワフルですね。それで今は?

海道:今は収穫量を増やし、過去には最高17t収穫できた年もありました。毎年9月にナツメの実を一斉収穫して乾燥した後、水を加えて減圧濃縮して「なつめエキス」に加工します。抽出した残りの果皮、果肉、種を焙煎して粉砕し「なつめ茶」にして、無農薬で育てたナツメの実は余すことなく全量使い切っています。その他にもなつめ商品を開発し、なつめ屋ダイレクトでインターネット販売しています。「加工し賞味期限を延ばして付加価値をつけて、必要な人に必要なだけ届ければいい」という、父の言葉がここでも生きています。

中島:会社の作り方から農業まで、一本の哲学でつながってるんですね。

─ 2代目として、次の世代へ

中島:海道さんが役職に就かれたのはいつ頃なんですか?

海道:10年前ですね。それまでも代表は主人の海道和男でしたけど、創業者の父がまだ会長としてバリバリやっていたので、なかなか自分のカラーが出せませんでした。10年前から息子も含めて二代目・三代目で一緒に考えていこうってなって、新卒採用を再開して、SNS発信も始めました。

中島:採用サイトのキャラクターとかYouTubeとか、すごく印象的でした。

ナック・ケイ・エス 採用情報ページ:https://nacksrct.com/recruit/

海道:キャラクターは私が名付けた「鏡なつめ」です。採用活動は息子や娘、子供たちが頑張っています。会社のテレビCMも作りまして、私が会社CMの歌を歌って踊る。そのバックダンサーに娘も出演させたんです。娘は京都の大学に進んで関西で就職したいと言っていたんですが、福井に戻って会社に入社してもらいました。

中島:娘さんといえば、チアダンスの話がすごくて。

海道:親バカですけどね。JETS※という高校のチアダンスの強豪チームに入って、2年生のときも3年生のときも全米大会で優勝したんです。本当に全くの未経験からのスタートで、高校の早朝練習に送って夜は遅かったので迎えに行って、3年間ずっとそれを続けました。田舎ですからバス一本しかないので、定期券を買っていたんですが、結局毎日車で送迎していましたね。

※JETS(ジェッツ):福井県立福井商業高等学校のチアリーダー部の名称。実話をもとに、2017年3月に映画『チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜』が公開された(主演:広瀬すず) その9年後を描いたオリジナルストーリーで2018年7月TBSテレビドラマ『チア☆ダン』(主演:土屋太鳳)

中島:全米連覇って、すごいですね。

海道:結果は輝かしいですが、日々の鍛錬あってこその結果だったと思います。毎日努力し続ければ90度も上がらなかった足が本当に180度上がるようになるっていう、2分30秒に情熱をかける娘の姿を見せてもらいました。娘たちの全米大会優勝した時の映像が偶然、映画監督の目に留まって、映画になって、さらにドラマにもなって。田舎の小さな出来事でも、本物の努力は世界に届くんだなって。それは会社でも同じだと思っています。

─ 中小企業のデジタル化と、これからの課題

中島:最近のデジタル化の波で、御社は何か変化がありましたか?

海道:それまで大企業が主に対象だった義務化が中小企業にも適用されるようになりました。さらに2023年10月からはインボイス制度が始まり、翌年の2024年1月には電子帳簿の義務化があって、手形も廃止されて……「紙でやってください」が通じなくなってきているんですよ。私どもでもクラウド化を進めましたけど、各拠点がつながって便利になった一方で、利用アカウント数を増やしたり、ソフトが増えたりとコストもどんどん上がってしまい、「便利になった、でも別のコストがかかります」っていう連鎖が痛手でした。

中島:なかなか単純にいかないですよね。

海道:AI導入の話も最近よく聞きますが、「まずはデータを生成するためのデータが必要です」って必ず言われるんですね。「じゃあ過去のデータをどう管理していましたか」となると、うちも含めて「紙ベースでの管理です」となっていました。データの蓄積がゼロからでしたので、まだまだ道は遠いなと。事務所だけでなく工場でのDX化はさらにハードルが高いです。例えば、カーブミラー鏡面の検査チェックも1枚ずつ人の目で確認しているので、そういう部分は簡単には自動化できないですし。

─ カーブミラーの、これから

中島:改めてお伺いしたいんですが、カーブミラーの未来はどう見ていますか。

海道:自動車業界の発展はめまぐるしいもので、自動運転の時代がすでに目の前まで来ていますよね。でも、離島や山奥といったすべてのインフラが整うのはまだまだ先のことだと感じています。それに、最後は人の目で見て確認をする。デジタルのカメラやセンサーと違って、カーブミラーは電気も電池もいらない。目で見て瞬時に判断できる。そのシンプルさって、実はすごく強みだと思っています。

中島:あるのが当たり前すぎて、その強さを意識していませんでした。

海道:カーブミラーに防犯カメラを組み合わせたり、光を集めたり反射させたりと、まだ応用の可能性もあると思っていますし。何よりカーブミラーは日本の文化だと思っているので、創業56年、これからも百年企業を目指して社会貢献し続けていきたいんです。

中島:今日お話を聞いて、本当に感動しました。ほんとはまだまだお話したいんですが(笑)

海道:こんな田舎の会社の話でよければいつでもお越しください。でも福井には国内シェア№1さらに世界シェア№1の会社が本当にいっぱいあるんですよ。私も他の会社の創業者物語って、とても興味があります。どうしてその会社ができたかって知りたいです。うちの会社も社員でさえ知らないくらいで。そういう物語を残していくことに意味があると思うので、これからも色々な会社の面白い取材をぜひ続けてください。

中島:はい、絶対続けます。今日は本当にありがとうございました。

取材日:2026年4月3日

中島健吾

COLUMN

コラム

PAGE TOP
目次