「四代目と喧嘩しても作りたかった」——五代目が米粉カステラに込めた、地元への想いと、社員への願い

福井にお住まいの方であれば、一度はこのキャッチコピーを目にしたことがあるのではないでしょうか。

「四代目と喧嘩しても作りたかった五代目の米粉カステラ」――。

福井に移り住んで数年、旧8号線沿い(花堂店)でこの看板と出会った時の衝撃を今でも鮮明に覚えています。そのメッセージ性の強さに興味を抱かずにはいられませんでした。なぜ、そこまでして作りたかったのか——。

その理由を知るべく、竹内菓子舗の五代目・竹内信仁さんに、家業を継ぐまでの歩みと、これからの展望について伺いました。

※竹内菓子舗 文京店にて

─ 東京での修行を経て、福井へ

※送別会時のお写真(2008年)

竹内菓子舗はもともと、駄菓子やまんじゅうを扱う菓子店として地域に根差してきました。そんな中、五代目となる竹内さんご自身は、なかなか家業を継ぐ決心を持てないまま上京し、専門学校を経て東京の和菓子店で修行を積んでいたそうです。

中島:最初から家業を継ごうと決めていたわけではなかったんですね。

竹内:うちは元々、駄菓子とかまんじゅうを売っていたんですが、当時はまだ家業を継ぐ気もまったくなくて。とりあえず大学はいっておいた方がいいとアドバイスされて上京したものの、何か見つかるわけでもなく。そのまま専門学校に行って、東京の和菓子屋に勤めていました。

奥さまとお子さん3人と東京で暮らすなかで、三代目からは「帰ってくればいい」と背中を押されていたそうですが、奥さまが東京出身ということもあり、帰郷のタイミングには長く悩まされた、と振り返ります。

転機となったのは、一番上のお子さんが小学校に上がるタイミング。「このタイミングが家族にとって最良なのではないか」——そう心に決め、福井へ戻る決断をされたそうです。

─ 「どん底」の日々の中で生まれたキャッチコピー

しかし、福井に戻ってからの日々は、想像以上に過酷だったといいます。

商品づくりから包装、マーケティング、デザイン、もちろん経営に至るまで、すべて一人で担わなければならない重責。商工会議所に通ってマーケティングやデザインを学ぶなど、手探りで歩みを進める中で、先代(四代目)との考え方のすれ違いなどもあり、なかなか結果がでず、奥さまから「東京で修行を続けていた方が良かったんじゃないか」と言われたこともあったそう。

そんな苦悩する日々のなかで、さまざまな人との対話を重ねて生まれたのが、例のキャッチコピーでした。

竹内:あのキャッチコピーは、いろんな人に壁打ちしてもらって、その中で生まれたものなんです。だけど、生まれた直後はインパクトが強すぎて、迷いがあって。もし商品の味が悪かったら、かえって悪影響を与えてしまうんじゃないか、名前負けしてしまうんじゃないか、と。

中島:それでも、あの看板を掲げる決断をされた。

竹内:商品は納得のいくものができていたし、一晩寝て起きてまた考えた時に、悪くないんじゃないかと。どう思われるかよりも、当時はまず店に来てもらうことが大事だった。そういう大きな決断をしないといけないぐらい、どん底だったんです。そういう意味では、支えてくれる人に恵まれましたね。

─ 米粉カステラに込めた、地元への眼差し

※看板商品「四代目と喧嘩しても作りたかった五代目の米粉カステラ」

今では累計販売2,600,000個(小口換算)を突破し大人気商品となった「四代目と喧嘩しても作りたかった五代目の米粉カステラ」なぜ米粉でカステラをつくるに至ったのか。その背景も伺いました。

中島:米粉でカステラをつくるという構想は以前からお持ちだったんでしょうか?

竹内:私が修行していた東京の和菓子屋で唯一つくっていなかったのがカステラで、実家に戻ったらつくりたいと思っていました。また、もともとウチは兼業農家でお米屋をやっていて、自分が東京にいた時もお米だけは送られきていました。それで地元に貢献したい気持ちもあり、地元のものを使って何か作りたい、と。あとは海外で過ごした経験など、いろんなものが積み重なって生まれた商品ですね。

─ 花堂本店グランドオープン、悔しさをバネに

花堂本店をグランドオープンしたのは、竹内さんが39歳(2015年)のとき。「いま思えば、あの時決断してよかった」と振り返る一方で、当時は悔しい思いもした、と明かします。

竹内:福井は保守的な面もあるので、『今までのやり方を続けた方が良かったんじゃない』という声もありました。

中には冗談交じりとはいえ、胸に刺さる言葉もあったそうです。ただ、その悔しさが原動力となり、以降、竹内菓子舗は県内で着実に知名度を上げていくことになります。

竹内:新しいことをすると叩かれる。でも、ここまできたら叩けないくらい伸びてやろうと

——その姿勢が、竹内菓子舗を次の段階へと押し上げてきたのだと思います。

─ ロゴも、空間も、はじめは全て自分で

※温もりのある木の質感が印象的な文京店の店内

店内の空気感やロゴの親しみやすさも、竹内菓子舗の魅力のひとつです。

中島:竹内菓子舗といえば、店内もそうですが、ロゴとかもすごくかわいいですよね。あれも竹内さんの代から変更されたものなんですか?

竹内:そうです。もともとはお金もないし、手間味噌でやっていて。

中島:そうなんですか、すごい

竹内:初期の頃はスクールに通ってデザインを学んでいました。ただそこは素人だったので、限界を感じ、パートナー会社さんにお願いしていて。ロゴ以外でも、ブランディングや、この文京店の店内のインテリアも無理をいって協力してもらいました。

─ これからのこと——森田店、新卒採用、そして社員の夢

※2027年春オープン予定の森田店イメージ(画像提供:竹内菓子舗)

森田町は、いま福井の中でも特に勢いのあるエリアのひとつ。人口の流入が続き、商業地としての注目度も年々高まっている地域です。空き物件はなかなか出ないのだそうですが、そんななか、出店の話は思わぬかたちで進んだそう。

竹内菓子舗の公式ブログには、この森田店の出店についてこんな言葉が綴られていました。

10年前の花堂店の新築移転、3年前の文京店オープンに続く3店舗目となる森田店は、「単なる出店ではない、会社の次の10年をつくる拠点」。最新設備を導入することで生産性を高め、「職人が、ちゃんと報われる構造」を本気でつくりにいく

職人がただ腕を磨くだけでなく、その努力がきちんと対価として返ってくる仕組みをつくる。そうした決意が、ブログの中で力強く語られていました。

その動きと連動するように、2027年からは新卒採用も本格化していくとのこと。これまでは経験者採用を中心としてきましたが、事業規模の拡大を見据え、職人育成に本腰を入れる方針です。「ただ、職人を育てるのは、大変なんですよ」と竹内さん苦笑します。

中島:とはいえ冒頭で伺った苦労されていた頃から考えると、今、見えてる景色はだいぶ変わってきたんじゃないでしょうか。

竹内:そうですね、でも世の中の動きは早い。成長を続けなければ、それ自体が企業にとってはマイナスになります。

気さくな語り口の中にも、俯瞰で将来を見据え、推進し続ける——経営者のあるべき姿が、言葉の端々から感じられました。

─ 結び

最後に、竹内さんが熱く語ったのが、社員の夢も支えたい、一緒に叶えたいという想いでした。

竹内:社員には自分の屋号で店を持つような感覚で、とは常々伝えています。やりたいことは積極的に支援していきたい。

中島:今後さらに成長した先に、ゆくゆくは、六代目、七代目と……。

竹内:そうなってくれたら嬉しいですけどね。

そう話を向けると、竹内さんは穏やかに笑いました。

「四代目と喧嘩しても作りたかった五代目の米粉カステラ」。あの看板に込められていたのは、ひとりの菓子職人がもがき続けてきた葛藤と、それを超えていった覚悟、そして次世代に向けて人や地域に還元していきたいという想いでした。

今回お話を聞いて、改めてあの看板を見るときは、以前とは違う“重み”を感じることでしょう。

取材日:2026年4月17日

中島健吾

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