界面に働きかける会社がつくった、”人をつなぐ”研究所 | NICCA イノベーションセンター
界面活性剤とは、異なる物質どうしの境界面——「界面」に働きかけるものだ。
たとえば、水と油。本来はなじみにくいもの同士でも、その境目に働きかけることで、関係が変わり、これまでにないはたらきが生まれる。
日華化学は、この界面に働きかける技術(界面科学)をコア技術として、多彩な事業を展開してきた。
今回、北陸高校新聞部の皆さんとともに訪れたのは、同社の研究開発拠点「NICCA イノベーションセンター(以下、NIC)」。
建築としての美しさや先進性にも目を奪われたが、それ以上に強く印象に残ったのは、取材のあいだ、社員の方々が繰り返し口にした「つながる」という言葉だった。
化学品と化粧品。
研究と営業。
社内と社外。
理系と文系。
NICで語られる話題には、不思議と「異なるもの同士が出会う」という共通点があった。
本来なら交わりにくい人や組織、価値観が同じ場所に集まり、そこから新しい発想が生まれていく。
異なるもの同士の境目に働きかけ、その関係を活性化させる──界面活性剤のその力が、そのまま建築という形をとった場所。
NICは、私の目にそんなふうに映った。

© Takahiro Arai
なぜNICは生まれたのか
そもそも、なぜこの建物をつくろうという話になったのだろうか。
日華化学の研究開発拠点は、NICが初めてではない。1957年に最初の研究所が建てられて以来、研究開発を支える環境は、その時代に求められる役割に応じて進化してきた。一方で、NICの前身にあたる「総合研究所」は老朽化が進み、設備面でもさまざまな課題が出てきていた。
そこへ、創立75周年という節目が重なる。
新しい研究所を建てるからには、これからの日華化学にとって大きな意味のあるものにしたい。そんな強い想いを持って、プロジェクトは進められた。
当時の日華化学には、化学品と化粧品という二つの事業の柱があった。だがその一方で、次の時代を担う新たな種も育てなければならない。少し前に起きたリーマンショックも、「これまでの延長線上に未来はない」という危機感を社内に残していたという。
新しい挑戦が生まれる場所。
異なる人と技術が出会う場所。
NICは、単なる研究所ではなく、人と人、技術と技術が出会い、新たな発想や価値を生み出す拠点として建設された。
人をつなぐ建築

左:界面科学研究所 フェロー 松田さま | 右:管理部門 HRイノベーション部 松本さま
──竣工から8年半。この建物ができて、いちばん変わったことは何でしょうか。
松田:「人によって違うと思いますが、私がいちばん大きいと思うのは、これまで顔を合わせることのなかった人たちが、同じ場所にいるようになったことです」
そう話してくれたのは、研究開発に長く携わってきた松田さん。かつて化粧品の研究部門は別棟にあり、化学品の研究部門とは日常的な接点がほとんどなかったという。
松田:「同じ会社なのに、まるで別の会社のようでした」
それが、NICの完成で大きく変わった。
松田:「所属の異なる社員同士が自然に顔を合わせ、自由に行き来できる環境が生まれたことで、化学品と化粧品が一緒に開発を進めるテーマも出てくるようになりました」
研究職と営業職のつながりも増え、部署を超えた交流が日常になった。
昼食をとりながら。
コーヒーを飲みながら。
ふとした雑談のなかで。
以前なら生まれなかった接点が、日々の中に増えていく。本来は交わることの少なかった人たちが出会い、新しいテーマが生まれる。
その変化こそ、NICという建物がもたらした、最も大きな価値なのかもしれない。
「行く側」から「来てもらう側」へ

建物が変えたのは、社内の関係だけではなかった。
松田:「以前は、大阪や東京へ出向いて話をするのが当たり前でした」
福井に拠点を置く企業として、社外との仕事では、自ら相手先へ足を運ぶことが一般的だったという。それが、NICの完成後に変わった。
松田:「NICができて、”よかったら見に来ませんか”と言える機会が増えたんです」
実際、NICには多くの人が訪れるようになった。建物や技術を目にした人が「日華化学はこんなこともやっているのか」と関心を寄せ、そこから次の対話が生まれることもあるという。
技術を見てもらう。
働く人を見てもらう。
会社の空気を感じてもらう。
その積み重ねが、NICを研究開発の場であると同時に、社外との関係を結ぶ「入口」へと変えていった。
言葉よりも伝わるもの

その変化は、採用の場面にも表れている。
──企業の魅力を伝えるうえでも、この建物の果たす役割は大きいのでしょうか。
そう問いかけると、人事を担当する松本さんは、学生を案内するときの様子を話してくれた。
松本:「そうですね、面接に来てくださった方には、実際に館内をご案内しています」
ガラス一枚を隔てた先では、研究職、営業職、企画職の社員が、それぞれの仕事に向き合っている。互いにやりとりを重ねながら、新しいものを生み出していく──その日常を、訪れた人は間近に感じることができる。
そうした風景に触れた人から、「ここで働きたい」という声が上がることもあるという。なかには、福井に縁もゆかりもなかった人が関心を抱き、足を運んでくれることもある。松本さん自身も、県外の出身だ。
会社の魅力は、パンフレットや説明会だけでは伝わりきらない。
働く人の表情。交わされる言葉。社員同士が自然に関わり合う空気。そうした”日常”に触れて、はじめて伝わるものがある。
フリーアドレスが生む、偶然のつながり

NICでは、働く場所そのものにも工夫がある。
その一つが、座席を固定しないフリーアドレスだ。日によって隣に座る人が変わるため、日常的に顔を合わせる相手も自然と広がっていく。
座る場所が変われば、見える景色も、隣にいる人も変わる。そこから雑談が生まれ、相談が生まれ、ときには新しいテーマのきっかけにもなる。
大きなイノベーションは、いつも会議室から生まれるとは限らない。むしろその芽は、昼休みやコーヒーブレイクのひととき、隣り合った席で交わす何気ない一言のなかに潜んでいる。
座る場所が変わる。
隣に座る人が変わる。
交わす言葉が変わる。
そこから、発想の入口が変わっていく。
NICのフリーアドレスは、そうした偶然の接点を、日常のなかにそっと織り込む仕組みなのだと思う。
ガラス越しに伝わる、共創の風景

館内を案内していただく中で印象に残ったのが、ガラス張りの実験室だった。
ガラスは、本来、空間を区切るためのものだ。だがNICでは、それが人と人を隔てる壁ではなく、互いの存在を感じ取るための境界として働いているように見えた。
実験に向かう人の姿が見える。
デスクに向かう人の様子が伝わる。
アイコンタクトで交わるコミュニケーションがある。
何をしているかが見えれば、相手の仕事への理解が生まれる。相手の状況が分かれば、声をかけるためらいが薄れる。
ガラス張りの実験室は、開かれた空間であると同時に、視線から始まるコミュニケーションの場でもある。
境界をなくすのではなく、境界を通してつながる。
そのあり方は、NICという建物そのものを象徴しているように感じられた。
文理融合を、日常にする

取材中、北陸高校新聞部の生徒からも、こんな質問が飛んだ。
──この会社に入る方は、やっぱり理系が多いんですか。
松田:「研究職は理系が主ですが、営業や企画、オペレーションは文系も多いです。文理は問いません」
松田:「異なる専門性や価値観を持つ人が出会うことで、新しい発想は生まれるんです」
専門性も立場、経験も異なる人たちが、同じ空間で働き、日常的に関わり合う。その何気ない対話の積み重ねが、新しい価値を生み出す土壌になっている。
立場の異なる人が自由に意見を交わし、そこから新しい発想が生まれる──言葉にするのはたやすいが、組織のなかで実現するのは決して容易ではない。
日華化学では、職種や部署の枠を越えて自由な発想を持ち寄る「MO-SO(妄想)ミーティング」という取り組みもあり、松田さんからは、そこから実際に生まれた技術や製品の話も聞くことができた。
建物によって、人がつながる。
そのつながりを、仕組みとして育てていく。
NICで見た「融合」とは、単なる理想論ではなく、
取材を終えて
取材前、NICには「福井でも知られた、洗練された研究施設」という印象を持っていた。実際に足を踏み入れてみても、その建築としての美しさや先進性には目を引かれた。
けれども、取材を進めるうちに見えてきたのは、見た目の美しさだけではなく、そこで働く人たちの動き方や関わり方を変え、人と人を自然につなぐための“装置”として機能しているという点だ。
フリーアドレスが、新たなコミュニケーションを生む。
ガラス張りの実験室が、互いの仕事の様子を伝える。
遠回りにも思える動線が、思いがけない出会いを生む。
この建物は、人の動き方を変え、会話を生み、つながりを育んでいる。界面活性剤が異なるものの境目に働きかけ、その関係を活性化させていくように──NICという建築もまた、人と人、部署と部署、社内と社外のあいだに横たわる境目に、静かに働きかけているのかもしれない。
建物が、人の行動を変える。
人の行動が、関係を変える。
関係が変わり、そこから新しい発想が生まれていく。
NICの本当の価値は、そこにあるのだと思う。単なる研究所ではなく、人と人が出会い、知と知が交わり、次の挑戦が生まれていく場所。
もし「建物が企業文化をつくる」ということがあるのだとしたら——その一つの答えが、NICにあるのかもしれない。

NICCA イノベーションセンター(NIC)/日華化学株式会社
〒910-0017 福井県福井市文京4丁目23-1
取材協力:北陸高校新聞部
取材・文:中島健吾